お寺めぐり

お寺めぐり

本願寺吉崎別院(西別院)

「念力門」は、豊臣秀吉によって京都の本願寺に寄進された門が移築された門。昭和23年、百余名の念仏奉仕団によって、念仏の声を力に、歩いて運ばれたことから「念力門」と名づけられた。「中宗堂(ちゅうそどう)」は、「オタマヤ」とも呼ばれ、蓮如上人吉崎退去の際、上人御自身の手で形見として描き残されたと伝えられる「オカタミのご真影」が安置されている。「本堂」は総欅による紫宸殿造。1797年に再建されてから現在まで残リ守られている十一間四面の御堂である。

 

願慶寺

浄土真宗大谷派寺院。文明3年(1471年)、蓮如上人が吉崎道場(坊舎)創建の際、和田重兵衛が吉崎三十人衆共々、蓮如の弟子となり、祐念坊の坊号を賜り、願慶寺の初代となり、蓮如の吉崎退去後は、「道場」として、道場跡を護持する。享保6年(1721年)願慶寺本堂を本山の御坊とし、「吉崎御坊願慶寺」と称する。(願慶寺由緒)。現在は、山門、本堂からなり、本堂では、嫁おどし肉附きの面の拝観と、住職から、そのお面の縁起についての話を聞くことができる。

 

真宗大谷派吉崎別院(東別院)

浄土真宗大谷派(東本願寺)の吉崎の別院。
境内には山門、本堂、宝物館、鐘楼堂などがあり、本堂は1747年の再建。蓮如上人が船上で書いたという六字名号(ろくじみょうごう)の掛け軸も所蔵している。蓮如上人御影道中は、蓮如上人が布教のため京都から吉崎に向かった約240キロの道のりを門信徒が歩いてたどる。340回以上続いている仏事である。京都東本願寺から、琵琶湖西回りで1週間かけて、上人の肖像画「御影」が運ばれ、4月23日に吉崎の男衆が、東別院本堂へ階段を担いで駆け上がりクライマックスを迎える。10日間、吉崎東別院で、蓮如忌と呼ばれる法要が行われる。 その後、今度は琵琶湖東回りで京都東本願寺に戻っていく。

 

吉崎寺

浄土真宗本願寺派寺院。吉崎寺の開基大家彦左衛門吉久は、蓮如上人の弟子となり、慶聞坊の法名を賜り、蓮如退去の時にも小浜までお供し、見送った。1474年の御山の大火の時は、蓮如上人を背負い、安全な所まで避難したと伝わり、蓮如上人を背負う慶聞坊の銅像がたつ。現在の吉崎寺は、蓮如が吉崎布教を始めた吉久の館跡に再建されたもので、宝物館には、蓮如上人御自画像・蓮如上人真筆の名号や、嫁おどし肉付き面などが展示されている。

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